自己肯定感が低いと危険な環境から抜け出せない

最近になって、日本人には自己承認できず自己肯定感の低い人が多いことを知りました。

日本社会に自己承認や自己肯定するという概念自体がないからか、自然と共生してきた歴史の中で「人間だけが特別な存在だ」という西洋的人権意識がないためか、親が子どもと過ごす時間が減っているせいなのか原因は不明ですが、確かに自分も含めてそう思うことが度々あります。

特にそれは、過労タヒしてしまう人や自分で人生を終えてしまう人に顕著だと思います。

過労タヒに関していうと、危険な労働環境で働かせていることを自覚しながらも、人権意識が低い風土を利用して、労働者自らの責任に転嫁する企業が多いからだとも思います。

そういう企業は、労働者に罪悪感を植え付けながら低賃金・重労働でこき使うわけですが、そういう場合の労働者は自己肯定感が低いほうが企業側も扱い易いようです。

一方、過労タヒ以外で自ら人生を終えてしまう人も、過労タヒしてしまう人と同じ傾向があるかもしれません。

身近でそういう人々に接していた経験からいうと、その人自身が親や家族から承認・肯定された経験が極端に少なく、いつも誰かから攻撃・口撃を受けていることが多く、自己肯定感が異常に低い印象がありました。家によっては「生きているだけでは存在を認められない」現実があるのです…

過労タヒしてしまう人や自分で人生を終えてしまう人には、生命を脅かすような危険な環境にあっても、そこから抜け出せないほど自己肯定感が低い人が多いと推測。

過去に自ら人生を終えてしまう人が身近に出てくる度に、なぜ救えなかったのだろう…というどうしようもない感情が沸きあがりました。

各人が持っている素晴らしい個性なり能力を、誰かが見つけて認めたり伸ばしたりしてあげていれば、そんな結果にはならなかったのではないかと今でも思いますが…

江戸時代から続く「共同体のために個人が犠牲になる」日本社会でも書きましたが、日本では各社会を円滑に運営するために、個人が犠牲になることがいまだに多いので、社会の構成員である個人を尊重し守る法律をつくるべきかと思います。憲法で個人の尊重が謳われていますが、ないがしろにされているので…

現日本の場合、親自身が戦後間もない生活が苦しい頃の親に育てられ、承認や肯定とは無縁の環境で生きていた可能性が高いので、過去の世代が受けたマイナスメッセージが今も次世代以降を苦しめている気がします。

また、親が子どもを承認し肯定することが少ない点だけでなく、子どもを承認・肯定する基準が親ではなく教師や世間に委ねられている点も問題です。

その傾向は自分で考えて行動してこなかった親に顕著であり、世間一般にすごいと言われている教育機関や企業、組織に子どもが所属することが、子どもを承認・肯定できる唯一の手段になってしまっています。

子どもの承認・肯定を教師や世間に委ねてしまうと、子どもは親からの承認・肯定を受けられないので、あらゆる面で判断基準がおぼつかなくなります。

そして親からの承認・肯定が得られないまま成長すると、確立されていない自らの価値観ではなく、教師や友人、上司、同僚、メディア、書物からの承認・肯定が元となって様々な判断を下していくので、間違った価値観で自らを承認・肯定する可能性も高まります。

同時に、心の拠り所が親ではない別の場所に形成されてしまうことにもなります。

そして子どもは教師や友人、上司、同僚、メディア、書物の価値観に沿って行動するようになり、限度を超えて耐えたり働いたりした結果、自ら人生を終えるほどに自分を追いつめてしまうことになるのだと思います。

親や家族から「本来の姿」を承認・肯定されて育った人であれば、例え危険な環境に突入しても「何か変だな」と違和感を覚えて、その環境を自ら抜け出し自分を守ることができます

しかし、親から「本来の姿」を承認・肯定されずに育った人は、親から認められようとどこまでも頑張り、結果、極限状態まで自分を追いつめ、最悪の場合には自ら人生を終えてしまうのでしょう。

おそらく承認・肯定されたことがないだけでなく、守ってもらったこともないので(例えあったとしても記憶されていない)、自分の守り方が分からないのでしょう…

そうやって親から「本来の姿」を承認・肯定されないと、自らを承認・肯定できないだけでなく自信をもつことさえ困難になります。自信がない状態で生き続けることは言葉にはできないほど辛く、出口が見えないトンネルをひたすら進んでいるような感じです…

そんな状態から抜け出すために有効だと思う方法の1つは、一心不乱にやりたいこと・好きなことを見つけてやること(法律の範囲内で)。

それが、自己承認・自己肯定感・自信を得られる最も有効な方法だと思っています。

やりたいこと・好きなことを見つけるには、やりたくないこと・嫌いなことを想像するのがいいと思います。消去法で残ったことを1つずつ試していって、残ったこと(いくつでも)がやりたいこと・好きなことです。

それらを思う存分やる過程で、人生との向き合い方、生きていくために選ぶ職業の落としどころ、自分の特性や性格などが自覚できていく気がします。「自分は本当はこういう人間なんだ」と分かり始めるわけです。

周囲の大人や友人、世間の価値観に頼らずに生きていくことは、最初は光のない暗闇を進むような心もとない感覚です。

でも、やりたいこと・好きなことをしながら進み続けていくうちに、そんな無鉄砲とも思える生き方がそれらしい道になっていくように感じています。

親や家族から生きているだけでは存在を承認されず肯定されなかった人が、改めて自らを承認・肯定するためには、体力・精神力のほかに時間も必要です。尊い命を生かすためにも、腰を据えてじっくり自分自身と向き合い続ける必要があります。

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