人と会うのが億劫なときは無理をしている可能性がある

今は気力が戻ってきたので、人に会って疲れる、人に会うのが億劫、という感覚はあまりありません。

が、以前は誰かと会うのが億劫だったり、会った後にとてつもない疲労感に襲われたりしていました…

もちろん会う相手にもよるのですが、親しい人に会うのも億劫だったり疲れたりしていたので、なんだか自分でもショックだった覚えがあります。

当時は、何をするにもエネルギーが不足している感じで、誰かと話そうにも上手く言葉が出てこなかったり、料理をするのも食べるのさえも億劫だったり、体全体の力が不足している状態でした…

おそらく仕事における激務が原因だったと思うのですが、その後退職しても数か月間は全く気力が戻りませんでした。結果、新しい職場に就職しても、気力が持たずに辞めてしまうことが続きました。

運動しても、よく食べて寝ても全く気力が回復せず、「ずっとこのままだったらどうしよう」と怖くなった時期もありました。それでもとりあえず、食べて寝る生活を続けていました。

そんな生活を半年ほど続けた頃だったか、体が元気になってきた感覚があり、いろいろなことに興味や関心がわくようになっていました。

ただ、気力が戻ってくるのは少しずつなので、魔法のような大きな変化はありません…

そのとき、ただひたすら時間を積み重ねる以外に回復方法はない、と悟りました。

それでもそうした時間を経て、体全体に力が戻ってくるのと比例して、脳の動きも回復し始め、人に会っても疲れにくくなり、人と会うのも楽しみになってきました。

過度なストレスによる歪んだ先入観ではなく、素に近いフラットな状態で相手と接することができるようになったからかもしれません。

疲労困憊していた時期は、会っている相手のパワーに飲みこまれて、相手のペースで会話することが多く、会った後にドッと疲れていました。気を遣いすぎることも多かった気がします…

そう振り返ると、人と会うのを億劫に感じていた時期は、生活上、無理をしていることが結構ありました…

背伸びをして無理をしながら、人目を気にする生活を送っていたような気がします。が、無理は長く続くものではないようです。

人と会うのが億劫になっているのは、それが会いたくない相手でない限り、生活上どこかで無理をしている可能性があります。

その無理が、人と会う気力を奪っている可能性があるわけです。

今後、また人と会うのが億劫になる可能性がありますが、そのときは自分の生活を省みて、無理をしている所はないか探してみようと思っています。

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