F・フロム-ライヒマンの『人間関係の病理学』(早坂泰次郎訳著)という本の中に、
「人は自分を愛する程度に応じてのみ、他人を愛しうるのである」という一文を見つけました。
ということは、自分を愛することができないと他人を愛することもできない、ということになります。
さらに言えば、たとえ愛せたとしても自分を少しだけしか愛せない場合は、他人も少しだけしか愛せないということになります。
ということは、「自分の〇〇は好きだけど〇〇は嫌い」と部分的にしか自分を愛せない場合、
相手のことも部分的にしか愛せない可能性があるわけです…
ちなみに、好きになることは、主観的で自分勝手な気持ちが大部分を占めます。
一方で、愛することは、客観的で相手を思いやったり、大切にしたいと思ったり、慈しんだり相手の気持ちを推しはかろうとしたりする気持ちが大部分を占めます。
そうなると、自分を愛せない人は相手のことを愛せないだけでなく、例え相手を好きであっても、相手に自分勝手な気持ちを押し付ける可能性が高くなります。
個人的には、自分を愛することは自分を大切に扱うことであり、相手を愛することは相手を大切に扱うことだと思っています。
それを冒頭の、「自分を愛する程度に応じてのみ、他人を愛しうるのである」に当てはめて考えると、
自分を大切にする程度に応じてのみ、他人を大切にできるとなり、自分を大切にできない人は他人も大切にできず、粗末に扱う可能性が高いと考えられます…
もちろん、F・フロム-ライヒマンの時代と現代とは異なるため、この指摘がどれだけの現代人に当てはまるかは分かりません。
ただ、自分を大切にする余裕がないほど、過酷な時代を生き抜いてきた人々の歴史を振り返ると、現代においても当てはまる指摘なのでは…という気がします。