先日、人生よよよさんという方のブログを知ったのですが、ある記事に強く共感する内容があったので、中身を引用させていただこうと思います。
それは親の仕事は子の存在を肯定することという記事の、半ば以降に書かれている内容です。
親の仕事って厳しくしつけて何か特別な知識を教えるとかではないんだよ、親の仕事は愛情によって無条件で子の存在を肯定すること
それがベースになって子どもは自分でも自身に肯定的になれる
仮にそれで生意気や世間知らずになって社会に出てきっちり本人が苦労するとしてもベースが自身へ肯定的な思考ならやっていける、自分に否定的になるよりずっといい
束縛され矯正され否定的に正しく育てられた子どもは苦労は少ないかもしれないけど、いざ転んだら立ち上がりにくいでしょうね、ベースの思考が自身への否定から入ってしまう
自分に対して肯定的というのは、自分が正しいと思ってるのとは違います、「俺は正しくないしダメだけどそれでもいいじゃん」と思えるって事です
言うのは簡単だけどきっと難しいけどね、子どもに無条件で存在を肯定するのは…せめてベタベタな言葉から入るべきでしょう
子どもを正しい人間にしようと思ってはダメ、子どもには正しくなくてもお前はお前だよと言ってあげてください、それだけで生きていけます
上記文章を読んでいて、人生よよよさんのことを心から羨ましく思いました。
なぜなら、親からそうした形で存在を肯定された記憶がないからです。
忙しすぎた両親はほとんど家におらず、たまにいても家事に追われているか、体を壊して寝込んでいたような記憶しかありません。
もしかすると、言葉以外の形ではたくさん肯定してくれていたのかもしれませんが、当時の私にはそれに気付けるだけの力が不足していたと思います。
「親が寝込んでいるのは自分のせいだ、もっと頑張らなくちゃ」と自分に圧力をかけるような子どもでした。
人生よよよさんの親御さんのように、子どもの頃に1度でも、「正しくなくてもお前はお前だよ」というような言葉をもらえていたら、まったく違う人生を歩んでいたと思います。
何の取り柄がなくても、親から存在を肯定してもらえることが、どれだけ子どもの力になるのか。
逆に、何の取り柄もなかったがゆえに、親から存在を肯定してもらえなかったことが、どれだけ子どもの力を奪うのか…
自分を肯定して生きられる日本人が少なかったり、自ら命を絶つ日本人が多かったりするのは、こういう所にも原因がある気がします。
幼少期からずっと自分の存在に信頼をもてないまま生きてきて、それは自分の力で取り戻すしかないと分かった今、
過去の自分と向き合いながら、本来の自分を肯定し続けていくしかないのかなと思っています。