以前、幼少期に自タヒした人々は家族を含めて周囲の人々に遠慮している印象だった、と書いたのですが、、、
そういえば、私も親に遠慮している子どもだったようです。というのも、周囲の大人からそう指摘されることが多かったから。
自分ではそれが当然だと思って気にしていませんでしたが、今考えるとやっぱりおかしかったようです。
それは置いておいて…
幼少期にもっていた自タヒ願望や燃え尽き症候群、生きるのが辛くて苦しくてしんどくて毎晩泣いていた頃を思い返すと、
幼少期に自タヒした人々と同じように、私も自タヒしていた可能性が高かったのかもしれません。
加藤諦三氏が仰っていたように、「この歳までよく刑務所にも入らず、自タヒもせず、生きてきたなあ、それだけでも奇跡だ」という言葉に、共感する自分がいます。
親に心理的虐待を受けても憎めず、反動形成で自分を憎み続けていると、
社会に出て同じような心理的虐待を受けたときにも相手を憎めず、自分を憎み続けてしまうようです。
子どもは親を憎めず(親も大変なのだから、親が正しいに決まっている等と子どもは思う)、その憎しみを自分へ向けてしまうからです。
親ではなく自分が悪いと考え、罪悪感を覚えることを習慣化。
その結果、相手が悪いのに、自分が悪いと思ってしまう
相手が相手自身の葛藤を解消するために、こちらに心理的虐待をしているのだから、明らかに相手が悪いのに、
相手はこちらに非があるような言い方をしてきます。
そのとき自分に幼児性が残っていなければ、相手の行動や言動を冷静に一蹴できますが、自分に幼児性が残っているがために自分が悪いと思ってしまうのです。
しかしながら、心理的虐待は相手にも幼児性が残っており、相手にも問題があるために起きる現象。
幼少期、親に甘えられず、甘えの欲求を抑圧して、甘えの欲求が満たされていない場合、反動形成でその欲求は恨みに変わり、その恨みが親に向けられない場合は自分に向き、
罪悪感を覚えやすくなってしまいます。
罪悪感を覚えやすい人は幼児性が残っている可能性が高く、社会でいじめ、パワハラ・モラハラ・セクハラ、自己愛などの人の標的になる可能性が高い。
そのため、そうした心理的虐待を許さないためにも、
親に得られなかった甘えの欲求を、自らが養育者になることによって本気で満たし、自分の幼児性を解決する必要があります。