自分の生きがいは自分で得る、自分で自分を満たすことが大切

『「普通がいい」という病』で、「欲望」と「愛」の違いについての記載があり、これまでの内容と関連して興味深いものだったので書いておこうと思います。

 愛とは、相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである。

欲望とは、相手(対象)がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである。 (p146)

この文章を読むと、現代がいかに「欲望」に溢れているかが分かります。

それだけ「心」由来の深い感情を抑圧され、「頭」由来の浅い感情で生きている人が多いのだろうと思います。

結果、子どもと親の関係など本来「愛」で結ばれるはずの関係さえも、親の「欲望」が満たされていない場合は(親の人生における感情抑圧が多すぎて)、親の「欲望」を満たすための関係を子どもに強いている場合があるようです。

「将来のあなたのためを思って~」などは、親の愛に見せかけた「欲望」だと著者も指摘しています。

「愛」と「欲望」の区別がつかない人は、「良かれと思って」というものを「愛」だと思い込んでいて、相手を窮屈にしていることに鈍感です。しかも、「良かれと思って」の裏に、相手に「感謝されたい」といった自分の「欲望」が潜んでいることを自覚していません。

「感謝されたい」と思うのは自然な気持ちではないかと思う人もあるかもしれませんが、それはやはり相手に何かを強要しているコントロール志向であることに変わりありません。ですから、「悪気があったわけじゃないし、あなたに良かれと思ってしたことなんだから大目に見て」というわけにはいかないのです。(p147、148)

「親に感謝すべき」論ですが…子どもからの感謝を求める親の大半は、「愛」ではなく「欲望」で子どもと接しているような気がします。

そして、それを子どもは見抜いているからこそ、親に対して感謝できないのだと思います。

私に子どもはいませんが過去を振り返ると、膨大な欲望を他人に求めていた時期がありました。

今でこそそれは、満たされていない「愛」が膨大にあるにもかかわらず、手っ取り早く満たせる「欲望」にしがみつきたかったんだろうと分かります…が当時は正直それどころではありませんでした。

子どもへの問題に置き換えてみれば、「愛」であれば子どもの子どもらしい進路選択や親からの独立を喜ぶはずですが、「欲望」の場合には、子どもを親の希望するような進路に進ませたいし、いつまでも自分のそばにいて欲しいという話になる。しかも、ここで必ず「あなたの将来を思って言っているのよ」というすり替えが行われるのです。(p148)

ちなみに、「欲望」はあらゆるところに出現するらしく、

教育・福祉・宗教など、自分より弱い立場にある人間を相手にする職業すべてについても当てはまる(p155)

と著者は述べています。

子どもと親、生徒と教師、患者と医療関係者、信者と聖職者など、弱者を相手にする関係では「欲望」が出てくる可能性がいくらでもあるというのです。

考えてみると、度が過ぎる「欲望」が生きがいとなって、それが職業として弱者に襲いかかると思うと恐ろしいかもしれません…

自分の生きがいは、他人を巻き込まずに自分自身できちんと得ることがまず大切な基本だと思います。そのベースがあってはじめて、他者と「欲望」を混入しない関係が結べることになる(p155)

という著者の意見には強い衝撃を受けました。

他人を巻き込まずに自分自身で生きがいを得るのが基本

それができる人がこの社会にどれだけいるのか…

「欲望」ありきの関係しか結べずに亡くなる人が多いのではないか…

としばらくの間考え込んでしまいました。

経済中心で、「頭」由来の浅い感情である「欲望」に流されやすい社会構造がその原因だと思いますが、

もし「心」由来の深い感情を持てる環境があり、1人1人が自分の生きがいを自分で得ることができれば、他者に「欲望」を求めたり粘着的に絡んだりすることもないのかもしれません。

しかしながら「欲望」が「愛」に変わることはないため、それに気付くまでは「欲望」を「愛」と勘違いして追い求めてしまうことになるそうです…

でもだからといって「欲望」を意識しないように溜め込んでしまうと、それはそれでおかしなことになってしまうのだそう…

そこで「欲望」は何らかの形で整理・浄化し、他者への「欲望」という粘着的感情として表出しないように、普段から排出しておくことが必要なのかもしれません。

そうすることによって、「頭」由来の浅い感情ではなく「心」由来の深い感情を意識できるようになり、徐々に「欲望」ではなく「愛」を認識できるようになるのかも。

そして、その「愛」を自給自足できるようになったら、他者への「欲望」や粘着的感情が無くなり、ようやく他者と「欲望」抜きのさっぱりとした関係が築けるようになるのかもしれません。

そうやって自分が満たされれば、他者に対して、「頭」由来の浅い感情による言動や行動は自然ととれなくなり、「心」由来の深い感情に沿った言動や行動をとるようになるのかなと思います。

今回この本を読んで、自分で自分を満たすことがいかに大事かをひしひしと感じました…

と同時に読んでいて怖くなりました。

なぜなら、今までの人生でそうした概念を知る機会がなかったからです。

諸外国のように、休みのために働くとか、数週間の休みを取るとか、友人や家族との時間を大切にすることよりも、

「周囲の人々がこうしているから」「世間は皆こうやって過ごしているから」「今これが流行りだから」というように、

これまで日本社会で見えていたのは「心」由来の深い感情ではなく、「頭」由来の浅い感情がメインでした。

もしかすると、日本にも「心」由来の深い感情に沿っている社会があるのかもしれませんし、ただ単に私の視野が狭すぎるだけなのかもしれません。

そうだとしても、過去の自分のように自らが満たされていないと、他者に対して「頭」由来の浅い感情による欲望を振りかざす可能性が高くなるため……

今後、欲望のない関係を他者と築いていくためにも、自分で生きがいを得る自分のことは自分で満たすことができるよう、やりたいことを存分にやっていこうと思います。

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