EQ・(3)自分を動機づける

『EQ こころの知能指数』(ダニエル・ゴールマン、1998)に掲載されていたEQ5領域のうち、

今回は「3.自分を動機づける」領域について書きたいと思います。

過去に紹介した領域はこちらです。

著者は「自分を動機づける」領域について、

目標達成にむかって自分の気持ちを奮い立たせる能力は、何かに集中したり何かを習得したり創造したりするうえで不可欠だ。快楽をがまんする、衝動をこらえる、といったセルフ・コントロールは、何を達成するにも必要な能力だ。「フロー状態」(才能が自然にほとばしる状態)にまで自分を高める能力は、あらゆる分野で傑出した仕事につながる。こういう能力を持っている人は、何をやっても生産的で効率的だ。(p86)

と説明しています。

まず、心の動揺が知的活動をどれだけ阻害するかについて書きますが、

不安や怒り、憂うつを抱えるなど心理的に不安定な状態では、情報を上手く取り込んだり対処したりすることができなくなります

EQ・(2)感情を制御するでも書いたように、強い不快情動は物事を正確に捉えにくくするだけでなく、

そうした感情に支配されている状態では、何に対しても集中しにくくなります

例えば、

抑うつ神経症の人は、自己憐憫や絶望感や無力感が他のすべての思考を押しつぶしてしまう。

情動が乱れて注意が集中できなくなると、当面の課題に関連する情報を頭にためておく知的能力(認知科学で「作業記憶」という)がうまく機能しなくなる。作業記憶の内容は、電話番号の数字を一時的に記憶するというようなありふれたものから、小説家が思い描く物語の構想のように複雑なものまで、さまざまだ。作業記憶は人間の知的活動をとりしきる最高の管理機能で、完結した文章で話すことからややこしい論理命題に取り組むことまで、すべての知的活動を可能にしている。(p150、151)

この作業記憶に関わっているのが「前頭葉皮質」なのですが、この前頭葉皮質は情動が集まってくる場でもあるため、

ここが強いストレスにさらされてしまうと作業記憶も阻害され、まともな思考ができなくなるというのです。

ただ、強いストレスにさらされても、自分を動機づけられるだけの高いEQを持っている場合は、

作業記憶は阻害されずにうまく機能し才能を開花させるための困難な訓練に耐える忍耐や熱意を持ち続けることができるとのこと。

もちそん、それだけ自分を動機づけられる熱意や忍耐をもてる対象に、出会えるかというのも重要なポイントだと思いますが…

また、自分を動機づけられるだけの高いEQには、「自己効力感」も不可欠だといいます。

自己効力感とは「自分は自分の人生を掌握できている、難題にも対応できる」という自信であり、

何であれ得意な分野ができるとその人の自己効力感は強まり、より大きな目標めざして冒険したり挑戦したりする意欲が出る。そのようにして難局を乗り切ると、それがまた自己効力感を強化する。自己効力感によって人間は自分の持っている才能を最大限に生かすことができる。あるいは、自分の才能を伸ばす努力ができるようになる。(p170)

この箇所を読んでいて、努力し続けられる天才タイプにはこういう人が多い気がしました。

心理学者のアルバート・バンデューラ氏は、

自分の才能に対する自信は、才能そのものに大きな影響力をおよぼします。才能は一定不変ではありません。才能がどこまで発揮できるかは、状況次第で大きく変動します。自己効力感の強い人間は、失敗しても立ち直ります。彼らはうまくいかないかもしれないことを心配するよりも、うまくいかなかった場合どう対処すればよいかという視点でものごとにアプローチします。(p171)

成功するまで何度も起業し、継続して業績をあげられる会社を生み出す経営者は、この自己効力感の塊みたいな人なのかもしれません。

ちなみに、自己効力感によって自分の才能を最大限に発揮できている状態を一般的に「フロー」(才能の横溢)と呼び、スポーツでは「ゾーン」と呼んでいるそうです。

この「フロー」や「ゾーン」の状態にいる時、本人からは周囲の環境は目に入らず、ただリラックスした状態にあるといいます。

ある作曲家によるとその状態は、

忘我の境地で、自分がそこにいることさえほとんど感じなくなります。こういう状態は、これまで何度も経験しています。指が勝手に動くというか、目の前の出来事が自分とは関係なしに進行していく感じ、かな。私はただそこにすわって、おそろしいような不思議な気持ちで見守っているだけです。メロディーが自然に出てくるんですよ。(p171)

とのこと。

著者による「フロー」に関する説明は以下の通りです。

これ以外にも大量の記述がありましたが、印象に残った部分のみ抜粋しました。

  • 「フロー」のとき、情動はよくコントロールされているのみならず、積極的で活気に満ち、照準が目標にぴったり合っている。抑うつによる倦怠感や不安による動揺にとらわれていては、「フロー」の状態にはいることはできない。(p172)
  • 「フロー」のとき、人は自分の行為に完全に没入し、すべての注意を一点に集中させ、意識と行動が渾然一体となっている。考えすぎは「フロー」の妨げになる。(p172)
  • 「フロー」状態の人間は目の前の課題に熱中するあまりすべての自意識を忘れ、日常生活の些事を ― 健康のことも、請求書のことも、うまくやろうという意識さえ ― 忘れてしまう。そうした意味で、「フロー」の瞬間にはエゴが消失しているわけだ。逆説的ではあるが、「フロー」状態の人間は自分の行為を完璧にコントロールでき、状況の変化にも完璧に対応できる。~(中略)~行為そのものに対する純粋な喜びが動機になっている(p173)
  • 「フロー」のとき、脳は「クール」な状態にある。(p175)

ただ注意すべきこととして、

「フロー」は才能の限界内、反復練習して脳の神経回路が効率よく発達している範囲でしか起こらない(p175)

ことを挙げています。

つまり、「フロー」は一心不乱に熱中できる対象に対して、反復練習を積まなければ起こり得ないようです。

となれば、自分を動機づけられるだけの高いEQ(自己効力感)を発揮し「フロー」状態へ持っていくためには、

一心不乱に熱中でき、才能を開花させるだけの熱意と辛抱を傾けられる対象を見つける以外にないということになります。

つまり、どれだけ辛く苦しく強いストレスにさらされたとしても、作業記憶が阻害されずにうまく機能する対象こそが、自分の才能と深く関係しているように思えます。

どんなことがあっても自分を動機づけられる対象……

私の場合何なのかを考えていましたが、過去を振り返っても見つからないので、

もしかするとまだ出会っていないか、出会っているけど見落としているのかもしれません。

その対象が見つかる・見つけることができれば、不向きに思えることでも前向きにチャレンジできたり、

不快に思えることでもプラスに解釈できたりするのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました