
以前も書きましたが、最近新たに思うことがありました。
それは、
自分を大切にすることは、大切に扱ってくれる人と過ごすこと
大切に扱ってくれない人とは、接触を最小限に抑えること(心の中では切り捨てること)
です。
親、兄弟姉妹、パートナー、友人、地域住民、仕事関係者など生活上関わる必要がある人でも、
ぞんざいに扱ってくる人とは、なるべく接触をしないようにすることが大切な気がしています。
見下した態度をとってくる人、パワハラ・モラハラ・セクハラをしてくる人、八つ当たりしてくる人、
嫌がらせしてくる人、支配してくる人(こちらを思い通りに動かそうとしてくる人)など、
大切にしてくれないタイプは様々、、、
言葉では大切に扱っているように見えても、行動を見るとぞんざいに扱っている人もいるため、
しっかり観察して、行動で真意を見抜く必要があります。
長年、親から大切に扱われてきたと思っていた私。
社会的に見て立派な親だったので、子どもを大切に扱わないはずがないと信じていました。
しかし、青年期から繰り返し燃え尽き症候群になっていたことや、社会人以降に自己愛の同僚を周囲に集めてしまうことに気付き、
同時に、長年覚えていた罪悪感がアダルトチルドレンの特徴であると知ってから、
どうやら両親から支配され(心理的に依存され)、大切に扱われていなかったと気付きました。
それでようやく合点がいったのです。
なぜ、幼少期から自分を大切にできなかったのか(自分を安売りしたり、体を守ろうとしなかったり)。
なぜ両親といるときは暗い顔つきだったのか(笑った写真が1枚もなかった)。
なぜ実家生活中は過緊張だったのか。
なぜ成長期に睡眠時間が3~4時間しか取れなかったのか。
なぜ真夜中、田舎の街頭のない道を走っていたのか。
なぜ毎晩泣いていたのか。
なぜ刹那的な生き方だったのか。
なぜ多重人格なのか。
なぜ青年期、友人と買い物に行くだけで父親から数時間の説教を受けていたのか。
自分を大切に扱えなかったのは、両親の葛藤を解決するために生じた心理的虐待が、私に対して長年続いていたからでした。
そんなこと、最初は信じられなかったし信じたくもありませんでした、、、
ただ、親の行動や言動を思い出せる限り思い出していくと、それは紛れもない事実でした。
当時の親の生活の大変さを思えば、想像を絶するものだったので仕方ないのかもしれませんし、その環境下でもきちんとした日常生活を営ませてくれたことは、感謝してもしきれません。
ただ、親自身の中に処理しきれていない幼少時代の葛藤があり、それを処理するのに子どもである私に心理的依存をし、心理的虐待をすることでバランスをとっていたところがあり、
その結果、子どもに対する親の関心は事務的な内容が主でした。
幼少期に母親が病気がちだったのですが、親への甘えの欲求を抑圧していたため反動形成で恨みに変わり、
それを親に向けられないことで自分に向け、結果自分が罪悪感を覚えることで乗り切っていた気がします。
そうやって、両親に甘えること、迷惑をかけること、心配をかけることを極力さけていたため、
そこで抑圧した感情や恨みが、今も私の人生を支配しているようです。
これは、父親による私への対応です。
- 自分勝手
- 親としての役割を放棄し、都合の良いときだけ親の顔をする
- 自分の子どもに関心がない(他人の子どもにはある)
- 自分の子どもの気持ちを尊重しない
- 完璧な学業成績でない場合はけなし、良くても褒めることはない
- 罪悪感を与える言動が多い
- 食事中に話しをさせない(黙って食べさせる)
- テレビを見させない(自分が子どもの頃は見ていたらしい…)
- 携帯電話をもつことを禁止する
- 塩の摂取を非難する
- 必要最低限の睡眠さえ非難する
- 友人と遠くへ遊びに行くことを許さない
- 子どもの交友関係に口出しする(いじめをするような性悪の子との付き合いを勧め、自分の子より他人の子を心配する)
- 行きたくない場所に連れて行かれ、何時間も連れ回される
- クラス代表や学校代表的な立場にさせられる
- 他の兄弟には言わないことを、私にだけは言う
こちらは、母親からの対応。
- 自分勝手
- 子どもに関心がない
- 着たくない変な服を無理やり着せる
- 子どもの交友関係に口出しする(性善の子を批判し、いじめをするような性悪の子との付き合いを勧め、他人の子を心配する)
- 学業成績が良くても褒めることはなく、少しでも悪いとけなしてくる
- 父親の能力と比較して、ダメ出しや圧力をかけてくる
- 学歴至上主義
- 病的にあらゆることに細かい
- 行きたいと言ったお店へ嫌々連れて行ってくれるが、ずっと不機嫌な態度で圧力をかけてくる
- やりたくない習い事を続けさせる
- 罪悪感を与える言動が多い
- 同情をかう言動を繰り返し、自分は批判されないようにする
- 他の兄弟には言わないことを、私にだけは言う
こうやって見ていくと、両親ともに自分勝手だったことが分かります。
きっと両親の親もそうだったのでしょう…
大切にしてもらえない親からの負の連鎖が、世代を超えて続いてしまっています。
ただ、そうやって大切に扱われない環境に長期間身を置いていると、それが当たり前の感覚になり、ぞんざいに扱われることに抵抗を覚えなくなります。
親から植え付けられた、大切にされない自分を受け入れているからです。
そして、自己犠牲は美徳とばかりに、進んで汚れ役や誰もやりたがらない役割を引き受け、親に肯定してもらえなかったゆえに行った低い自己評価・自己肯定感を埋めようとします。
無責任な上司達に囲まれて仕事をしていた頃、「何であなたがそんなことをしなければならないのか?」と他部署の同僚から同情されたことがありますが、、、
今思えば、誰もやりたがらないことをやることに幼少期から慣れてきたから、だと分かります(父親もそうだったのかもしれません)。
というか、そうすることを親からいつのまにか強制されていたんですね。
それが自分を大切にしない行動であると知らないうちからやり続けていると、気付いたときには自分を大切する方法が分からなくなっています。
しかも、大切にされる感覚も育っていないため、自分を大切にしてくれない人ばかり周囲に置いてしまうことになります…
そうならないために、今も実践中ですが、
大切に扱ってくれない人とは、(たとえそれが親であっても)接触を最小限に抑えて(心の中では切り捨てること)、大切に扱ってくれる人と過ごすこと
で、自分を大切にする感覚を養い続ける必要があると思っています
負の連鎖を断ち切るためにも、自分を大切にする生き方をしていく。
自分が自分の養育者となって、過去と今の自分に本気でやさしくしていくと同時に、自分をないがしろに扱う人との接触は最小限に抑えていくつもりです。