数年前から、加藤諦三氏の著書を何冊か読んでいますが、読み返すたびに共感する部分の多さに驚いています。
また、何度も読んでいると、今までしっくりこなかった箇所がしっくりくることもあり、読み返すたびに理解が深まる感じがあります。
と同時に、自分だけでなく多くの日本人に当てはまる内容かもしれない…とも感じています。
その内容とは、大まかにいえば神経症ということです。
神経症にはいろいろな種類がありますが、その原因は自尊心の低さによる自信のなさ、幼少期の甘え不足、村社会にあると個人的に思っています。
また、日本人は細部にまでこだわる性質をもつため、その性質が余計に神経症を悪化させている気がします。
他国では病的なレベルだと思いますが、そんな「細かいことにこだわる」性質を持つ人々が多く住む国では、以下の構図が成り立つと思っています。
- 綺麗好き → 外国人が驚くほど街が清潔
- 細かい作業が得意 → 壊れにくい精密機械や建造物を生み出せる
- 舌も細かい感覚を持つ → 繊細な味を表現できる → 日本人が作った料理は美味しい
- 細かい表現言語 → 微妙な表現の違いで、他人の優劣を図る
- 細かい部分が気になる → 仕事が非生産的
上記性質にプラスして、島国であること・ほぼ単一民族であることが、価値観が偏狭になりやすく・視野が狭くなりやすい性質を生んでいると思います。
そして、それが神経症を生みやすい土台を育んでいるとも思います。
もちろん神経症であるがゆえ、非凡で多彩で天才的な能力を発揮する場合も多いようなので、マイナス面ばかりとは言えない気がしますが…
本人にとっては生涯通じて葛藤や苦しみが多くなるケースが多いようなので、プラス面が多いともいえないようです…
加藤諦三氏が指摘する神経症は、「自己実現できていない」という意味で書かれているようですが、

上記で書いたマズロー5段階欲求説において、その「自己実現できていない」状況を照らし合わせると、
1番上にある「自己実現欲求」にまでいかない人が多い可能性が考えられます。
その要因として個人的に思うのは、土台となる「生理的欲求」もしくは「安全の欲求」が満たされない生育環境に、多くの子どもが置かれているからではないかということです。
それは、同時に家庭の中で母親に多くの負担が集中する環境があるからではないか、と個人的には考えています。
本来夫婦で協力する必要がある子育てですが、なんらかの理由で母親に負担が集中する家庭だと、子どもに負うべきでない心理的負担が発生する可能性が高く、
その心理的負担により子どもは、「生理的欲求」ないしは「安全の欲求」を確保するのに精一杯という状況に追い詰められ、
「自己実現欲求」まで到達しないのではないか、と想像。
男性優遇の日本社会では、風土だけでなく制度としても女性や母親を冷遇し続けていますが…
そうした制度設計や政策立案・施行を行っている日本人?男性は、愛情欲求による恨みで意図的にやっているのか、自分達で自分達の首をしめていることに気付かないのか不明ですが……
そんな社会で女性が自己実現するためには、理解のある男性と以外は家庭を持たないほうがいいという結論になってしまいますね…