個人的に信じている「マズローの5段階欲求説」によると、人間の欲求には5段階あり、1段目の欲求を満たせなければ、その上の欲求を満たせないことになっています。
1段目は生理的欲求、2段目は安全の欲求で、この2つは基本的欲求とされており、食事や排泄などが満たされ、生命の危険がない場所での生活が満たされることを意味します。
3段目は社会的な欲求で、これは社会と繋がって認められたいという欲求で、4段目は尊厳の欲求、5段目が自己実現欲求となっています。
さらに、マズローは晩年、6段目の欲求として、目的の達成だけを純粋に求める自己超越欲求も発表しています。
さて、この5段階欲求説に基づくと、1段目や2段目の基本的欲求を満たせなければ、その上にある欲求も満たせないことになります。
そう考えると、大飢饉の飢餓状態や、戦時中に生きた人々の中には、そうした基本的欲求を満たせなかった人も多かったのかもしれません。
ただ、基本的欲求は、自然災害や戦争などの危険によって満たせない以外に、現代のような飽食といわれる時代にあっても、
幼少期に何らかの理由で、親や社会から守ってもらえない(逆に虐げられる)、愛情を得られないという危険状態が続いた場合にも、満たせないケースがある気がしています。
独特の社会構造により家庭空間が閉鎖的になりやすく、子どもの人権が低く置かれやすい日本社会では、年間自タヒ者数を見ても分かる通り、生命の危険を感じる生活環境に置かれている子どもが数多くいます。
その原因は、戦後、経済的に豊かになる過程で犠牲にしてきたものが多すぎるのか、閉鎖的村社会構造から脱却できないためか、科学技術の発達や社会変化のスピードに人間がついていけないからか、諸外国から表面的な視点でしか学んでこなかったからか、社会構造自体に問題があるのか、その全てが原因なのか、それ以外が原因なのかは不明です。
ただ、大人も含めて自タヒ者が多い現実は、単に自タヒする前後に要因があったのではなく、幼少期からずっとそれに至る積み重ねがあったのではないか、と想像します。
もちろん、決定打となる事柄はあったのかもしれませんが、幼少時代、周囲で自タヒした人々の言動や行動を思い返してみると、
誰に対しても遠慮している印象が残っており、幼少期から基本的欲求が満たされる環境になかった可能性を強く感じてしまうのです。
基本的欲求というのは、親への甘えの欲求なども含まれます。
親に甘えることが許されなかった場合、そうした欲求は満たされないまま生きていくことになります。
しかしそれは本来、子ども時代に満たすべき欲求なのです。
そうした基本的欲求が満たされれば、その上の欲求である社会的欲求や尊厳欲求、自己実現欲求へと自然と移っていけるはずですが、、、
満たされない欲求がある限り=基本的欲求を抑圧している限り、そうした現実と向き合わない限り、
その欲求を満たすことに、一生、時間・労力・財産を費やしてしまう可能性があります。
土台が不安定である場合には、一時的に基本的欲求を満たせて上の欲求へ移れたとしても、
自分を守る糧が不足した状態のまま生き続けることになるため、途中でガス欠を起こしてしまい(燃え尽き症候群やうつ病など)、
再び下の欲求を満たそうとしてしまうはずです。