『「自分の居場所」をつくる心理学』(加藤諦三、2010)で、
恩着せがましい人(相手に感謝を要求する人)、相手に罪悪感を要求する人、同情を要求する人は、
自分の不安を解消するためにどうしてもそうせざるを得ないと書かれていました。
それは、感謝されることで充実感を味わったり、相手が罪悪感を覚えることで心理的に安定したり、
同情されることで孤独感を味わなくて済んだりするからだそうです。
そうやって相手に対して、感謝、罪悪感、同情を覚えてもらわないと心の底が不安なため、
自分がいかに大変であったかを強調するのだそうです。
とはいえ、世の中にはやってもらって当然のような搾取型の人も存在するため、強調はせずとも主張は必要だと思います。
まぁ、搾取型の人とはできるだけ関わりたくありませんが、、、
加藤諦三氏いわく、
そのように様々な感情を人に要求する人は、心の底の底で誰ともつながっていない寂しさに苦しんでいる。(p33)
そうです。
だいぶマシになったと思いますが、以前の私も含めて、日本人にはこういう人がとても多い気がしています。
さらに、
神経症的傾向の強い人は、人から特別に扱われないと不愉快になる。(p33)
場合もあり、自分が不愉快となる事柄に直面した場合、相手にしつこく、粘着的に絡み続けて、束縛する傾向が強い気がします。
不安な人は相手を放っておけない。なんやかんやと言いがかりをつけて絡んでいく。(p35)
という感じです。
この本を読んでいると、幼少期周囲にいた人々(親、友人、教師、同級生など)が、いかに精神的に病んでいたかを思い知らされますが…
周囲の人々がそうだったということは、自分にも少なからずその要素が含まれている可能性があるわけで…
そう思って過去を振り返ると、いつも不安で仕方ないのに守ってくれる人がいないため、何か起きたら自分で何とかしなければいけないと思って生きていたことを思い出しました。
結果、身構えながら過剰防衛して生きていたと思います。
思春期以降の過緊張や過覚醒は、それが原因の1つだったかもしれません。
当時、不安であることを認めてしまうと、もう生きていけないような、前に進めないような、見放されるような、疎外感や孤独感があったんですよね。
人を束縛することで自分の心の底にある不安と向き合うことを回避しようとしている人(p35)
は多いのかもしれませんが、、、
それだけ大半の日本人にとって、日本社会の構造は不安に満ちたものなのかもしれません。
ちなみに、相手の気持ちを敏感に察知してしまう人の場合、
罪悪感を覚えてほしい欲求、感謝してほしい欲求、同情してほしい欲求を無意識のうちに感じ取ってしまい、その欲求を満たしてしまう可能性があります。
そんな状態を続けていると、共感疲労(感情労働)のため回復するのが著しく困難になる可能性もあり、
仕事でなければ、そうした環境とは適度な距離をとる、仕事であれば、感情労働で負った疲労を回復させる方法を実践するなど、適切な対策が求められる気がします。