数年間しまいこんでいた加藤諦三氏の本を数冊、最近再読しました。
改めて読み返すと、当時は気付かなかったこと、腑に落ちなかったこと、理解に至らなかったことが「そういうことだったんだなぁ」と思えてきました。
中でも、「うつ病者の脳は年寄りと同じ」という言葉にはハッとさせられました…
数年前、まだ30年くらいしか生きていないのに、もう60年くらい生きた気がしていた自分と重なったからです。
当時は何をやるにも脳が疲れた感覚があり、誰かに会うのも億劫。
元気になったと感じてもそれは一時的な状態で、心理的に健康でないためか常に疲れやすい感覚がありました…
何とか奮起しても、短期間しか頑張れないのです。
周囲の人々からの言葉は責められているように感じていましたし、音楽を聴くのも、読書するのも、食事するのさえも億劫でした。
周囲の人々の不快感にも敏感で、常に神経を消耗している感覚がありました。
それが年寄りの脳と同じかと問われれば違うと思いますが、とても若い脳とはいえない状態だったと思います…
加藤諦三氏の著書に『心の休ませ方』(2006)という本がありますが、そこに印象的な箇所があったので抜粋します。
うつ病になるような人はあまりにも長い間悲しみに耐え、情緒的虐待に耐え、激しいストレスの中で生きてきた。周囲の人に利用されて生きてきた。(中略)そして脳がすり切れた。肉体年齢はどうであれ、その間に脳はあまりの苦しみで老化していたのである。しかし脳の老化は外には見えない。周囲の人はいつまでもきついことを要求し続ける(前褐書,143項)
当時はまさか自分がうつ病だとは思いませんでした。
むしろ、うつ病という概念自体知りませんでした。
が、「脳はあまりの苦しみで老化していた」という一文を読み、そしてあらゆる本を読むにつれて、幼少期から数年前までずっとうつ病だったのではないか?と思い始めました。
いまあなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っている時には、あなたから搾取する人である(前褐書,145項)
自分を利用し続ける人から離れるのは、幼少期に「愛情を得たい」「甘えたい」という感情欲求を抑圧した分だけ難しいと思います。
しかしながら、その抑圧した感情に対して、時間をかけてじっくり向き合い、抑圧した感情を浄化していくことで、少しずつ、うつ病になるような性質から脱却できるのではないかと思っています。
と同時に、搾取してくる人々からも離れられる気がしています。
長年苦しみ続けて老化してしまった脳を、再び快活な状態へ戻すことは容易ではないですが……
少しずつ回復している感覚もあるので、できる範囲で脳の動きが活発化するような生活をしていこうと思います。