最近読み返した『「自分の居場所」をつくる心理学』(加藤諦三、2010)に、ゾッとする文章を見つけました。
人間は幸福になりたいという願望より、心の葛藤を解決したいという願望のほうが強い。
人間の最大の問題は不幸ではなく、不安である。不安を避けるために人は不幸にしがみつく。(p125、6)
確かに、幸せになれる選択肢があるにもかかわらず、その選択肢に強い不安を感じる場合は、
虐げられ、搾取され、ひどい扱いを受けている環境でもしがみつくケースが多そうです。
現状から脱出したほうが幸せになれるのに、脱出後の不安がこわくて不幸でいることを選ぶのです。
過去を振り返って、不幸になる選択肢を選んでいた頃を思い出すと、、、
立ち止まって自分を客観的に見る余裕がないほど忙しく、世間の目を異常に気にして生きていた気がします。
仲間外れ・変人扱いされたくないからと、テレビや新聞などのメディア情報を鵜呑みにし、
所属する社会の多数派に合わせながら、メディアから発信される情報に何の疑いも持たずに生きていました。
その情報が間違いかもしれない、と疑うことさえありませんでした。
周囲の人間に少しでもそんなことを言う人がいたら、ちょっと変な人かも?と距離を置くのが常でした。
ただ、仕事で疲れ切ってふと立ち止まる機会を得て、書籍やネットで過去の歴史を知るにつれて、
これまで与えられてきた教育も、テレビや新聞で受け取ってきた情報も、それが政府発表の情報でも、
内容解釈に大きな偏りが見られることが分かるようになっていきました。
とはいえ最初は、半信半疑で信じられないことばかりだったため、理解できるまでに時間がかかり、
結果、何度も政府情報を含めたメディア情報を信じようと思いました。
政府がある程度働いてくれてるから、今の日本があるのだと…
が、調べれば調べるほどこれまで日本政府がやってきたこと、今もやっていることは、
国民を虐げることばかりで、政府としての存在意義を疑うことばかりでした。
そうした前提で考えると、今の政府や政府の政策を支持している国民の大半は、
不安よりも不幸を選ぶ生き方なのかもしれません。
もしくは、政府との繋がりがあって既得権益を受けられるため、不安でも不幸でもないのかもしれません。
ただ、何割かの国民は、人を人とも思わないような日本政府から虐げられ、ひどい扱いを受けている可能性が高い…
にもかかわらず、みんなで渡れば怖くない・長い者には巻かれろ・これまでもずっとそうしてきた・村八分になりたくないの精神で、
政府に言われれば、危険な薬でも体に入れるし、間違っていることも正しいと言うし、戦争へも行くのかもしれません。
歴史を振り返り、冷静に考えて、客観的にみれば、その選択で不幸になることが分かっていても、
所属している社会で少数派になり、村八分にされる不安のほうがあまりにも大きいので、
たとえ不幸になる選択だとしても、所属している社会の多数派でいるほうが安心と、
不幸でいる選択をする人があまりにも多いのかもなぁ…と、この本を読んで思いました。