「地下水脈に到達」=「普遍性を獲得」した人は自分の人生を謳歌できる

しつこいくらい何度もご紹介している『「普通がいい」という病』。

精神科医である著者が書いた本ですが、濃すぎる内容と私の理解力が乏しいために何度も読み返しています。

そこに普遍性に関する分かりやすい説明が、「地下水脈」という項目で紹介されていたので抜粋します。

普遍性とは「狭い(特殊な)範囲にとどまらず、広く一般の理解や共感が得られたり、問題とするすべてに適合したりする性質・要素」(『新明解国語辞典』)のことですが、今回この本でその普遍性を獲得することがいかに大切か、を思い知らされました。

どんなに型や理論をたくさん学んでも、その型の奥に潜むエッセンスを汲み取れるかどうかによって、それが後々大きな違いを生み出します。~中略~

この地下水脈まで到達した人はみな、時代も専門も超えて、何か共通するものを感じ取っています。ですから、ある人は画家であったり、詩人であったり、哲学者であったりしますが、地下水脈から汲み取ってきている人は、みな同じことを言っています。~中略~

地下水脈から汲み上げてきたもの、この深さから来た言葉というものは、非常にシンプルで分かりやすいものになっているのが特徴です。平易な言葉を使っていながらも、密度が濃い。逆に、内容の浅いものほど、言葉は難解になります。それは、内輪の人にしか通じない。そういう言葉を並べ立てられると、読んだり聞いたりする方は「自分がバカなのかな」なんて感じさせられたりします。しかし、それはほとんどの場合、錯覚です。

本当によく分かっている人は、その物事をよく咀嚼しているから、分かりやすい言葉を使っても、自在に話したり書いたり出来る。しかも、エッセンスを捉えているので、型から自由ですから、いろんな喩えを駆使したり、別ジャンルのことと関連付けたりすることが可能なのです。(p199~203)

各界の一流同士が対談本を出したり、実は友人だったりすることがありますが、そうやって異業種でも話や気が合うのは、今回のように「地下水脈」に到達して普遍性を獲得している者同士だからなのか、と合点がいきました。

そうした普遍性を獲得している方々は、他人のことをアレコレ言うよりも、自分の人生をいかに謳歌するかに力点を置いて生きているように見えます。

やりたいことや大切にしたいこと、こだわりたいことがどんどん湧き上がってくるためかもしれません。

私自身が何かの分野で発信者として、普遍性を獲得するレベルにまで達することはなかなか難しそうです。

が、受信者として発信者の内容を判断する立場にいる場合は、専門家や学者、政府関係者で難解な言葉や表現を使って説明するような人は、実際には内容を深く理解していない可能性が高いため、信用しないようにしようと思いました。

本当に理解している人は、誰にでも分かりやすい言葉と表現を使う

他山の石ではないですが、自分も他人に説明する際は、相手や周囲にどう思われようとも、なるべく分かりやすい言葉や表現を使うように気を付けよう、と改めて思いました。

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