何時間でも人を待てた精神状態は危なかったんだなぁ

記憶が正しければ過去に数回、待ち合わせで人を数時間待ったことがあります。

今考えると、ある程度待ったところで帰れば良かったのになと思うのですが、当時はそうは思えませんでした。それがメンタルダウンしている時の精神状態なのかもしれません。

まず覚えているのが、小学1年生の時。今はどうか知りませんが、その当時その地域の子どもは集団登校していました。

ある時、その集団登校している最上級生の1人と待ち合わせをしたことがありましたが、待ち合わせ時間になってもその人は来ませんでした。

途中で「帰ろうかな」と思いつつも、その最上級生の家と私の家とは昔から折り合いが悪いようだったので、もし私が帰って後で揉めたら嫌だなと思い、数時間待っていました。

結局3時間くらい経って、「本当に待っているなんて…」という飽きれた表情でその女性が来たのを覚えています。むしろなぜ来たのだろう…

引っ越ししてその集落とは関わりがなくなりましたが、住む場所を選ばないと世の中は生きづらくなるんだなと、後々思い返すきっかけにもなりました。

もう1つ覚えているのが中学生の時。

自転車で待ち合わせて一緒に学校へ行っていた同級生が1人いたのですが、その子のほうが学校に近いにもかかわらず、よく待ち合わせに遅れてくる子でした。

裕福な家庭の子でしたが、よく物を借りて返さない子でもありました。

おそらく同級生を待たせることも、物を借りて返さないことも、何の悪気も感じない人だったのだと思います。

ただ、その子は学校でけっこう力を持っていてなぜか親同士も仲が良かったので、後で何か言われたら嫌だなと思い、辛抱して2時間以上待ったこともありました。

今考えれば、何で付き合っていたんだろう?と不思議になるレベルですが、当時は田舎の狭い学校コミュニティで嫌われて過ごすことが耐えられない精神状態だったのだと思います。

今だったら、自分をないがしろにする人とは付き合えないですし、ないがしろにする人だと分かった時点で関係を断つ勇気もあります。

が、当時は今以上に狭い視野と弱小メンタルしか持ち合わせておらず、自信もなかったので、村八分にされないように周囲に合わせるのが精一杯でした。

親しい相手を好きで待つのとは違い、嫌っている相手を自分の弱さ(自分の家の弱さ)ゆえに待つことは、とても健全な精神状態とは言えないなぁと、しみじみ思い返しています。

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