数年前、日本人の大半は自己肯定感が低いことを知りました。
個人的には前回書いた、親からの否定的メッセージが原因である可能性が高いと思っています。
が、もしかすると日本社会にはもともと自己肯定するという概念自体ないため、それが影響していると言えなくもありません。
また、自然と共生してきた歴史の中で、「人間だけが特別な存在」という西洋的人権意識を持ちにくいこともあるかもしれません。
もちろん、それ以外の複合的要因もあると思います。
ただ、自己肯定感が低い人に、過労死してしまう人や自ら人生を終えてしまう人が多いのは考えものです…
生きているだけでは人権がない
知人や親戚に自死した人がいた経験からいうと……その人自身が親や家族から承認・肯定された経験が極端に少ない印象があります。
いつも誰かから攻撃を受けていて、自己肯定感が異常に低いまま成長しているケースが多い印象です…
日本社会全体にいえることですが、「生きているだけでは存在を認められない」現実があります。
そこには、戦時中並みに「働かざる者食うべからず」の精神がある気がします。
危険な環境から脱出できない理由
過労死してしまう人や自ら人生を終えてしまう人には、生命を脅かすような危険な環境にあっても、
そこから抜け出せないほど自己肯定感が低下しているケースが多い気がします。
結果、周囲の意見に従ってしまい、「もっと頑張らなければ…」「今辞めたら無責任かも」「自分の頑張りが足りないせいだ」「生きていてもしょうがない」と自分を追いつめ続けている気がします…
もちろん、この世には非人道的企業も存在するため、抜け出そうと思っても難しい場合もあるかもしれません…
が、もしそれまでの人生で、親が「生きているだけで価値がある」という肯定的メッセージを送れていたら、また違った結果を生んだかもしれないと思うのです。
子どもの自己肯定感が低い理由
子どもの頃から自己肯定できないような過酷な環境で生きざるを得なかった人は、大人になってからも自己肯定感が低い場合が多いと感じています。
自己肯定するためには、親から「存在するだけで価値がある」という肯定的メッセージを受け取る必要があります。
が、親自身の自己肯定感が低い場合は、そうした肯定的メッセージを子どもに送れない場合が多いようです。
それは親自身が、親からそうした肯定的メッセージを与えられたことがないからです。
結果、子どもは親からの否定的メッセージを受け取り続けることになり、自分の存在が肯定できないまま人生を進んでいってしまいます。
そのうち世間からの評価に重きを置くようになり、結果として危険な環境に突入したとしても、極限状態まで自分を追いつめてしまうのだろうと思います。
自己肯定感が高いと自分を守れる
一方、親からの肯定的メッセージを受け取った子どもの場合は、例え危険な環境に突入したとしても、
「何か変だな」と違和感を覚えて自らそこから抜け出し、自分を守れる可能性が高いです。
おそらく、親から本来の姿を肯定されたことがあり、守ってもらった記憶があるため、自分の意志を貫いて自分を守る方法を選択できるのだと思います。
自己肯定感を高める方法
しかしながら、自己肯定感が極端に低い場合は、自信を持つことさえ難しいような気がします。
自信がない状態で生き続けることは、出口が見えないトンネルをひたすら進んでいるような感じで…
そんな状態から抜け出すために有効だと思う方法の1つは、一心不乱にやりたいことを見つけてやること(法律の範囲内で)だと思っています。
それが自信を得られる、有効な方法の1つではないかと思っています。
やりたいこと・好きなことをやる
やりたいこと・好きなことを見つけるには、幼少時代に無意識にやっていたことを思い出すのがいいかもしれません。
それでも見つからない場合は、「心の吐き出しノート」に感情を排出することで見つかる可能性があります。
そうして、好きなこと・やりたいことを見つけたら思う存分やることで、自分の性格や特性などが分かり始め、「自分はこういう人間なんだ」と少しずつ自覚できるのではないかと思います。
そうやって自覚できた自分の性格や特性を、自分で認めて肯定していくことで少しずつ自信がついていくような気がします。
特に、プラスに思える性格や特性をノートに書いておいて、寝る前に読み返すと効果的だと思います。
進み続けると道ができていく
場合によっては、それが自分と向き合うことになり、辛い作業となるかもしれません。
周囲の大人や友人、世間の価値観に沿って生きたほうがラクだし、不安がないかもしれません。
それだけ自分の価値観で生きていくことは、最初は光のない暗闇を進むような感覚なのです。
でも、好きなことをしながら進み続けていくうちに、少しずつですが、そんな生き方がそれらしい道になっていくように感じています。
時間はかかるけれど
生きているだけでは存在を肯定されなかった人が、自分で自分を肯定し、自信を持って生きられるようになるには、それだけ時間も必要です。
ただ、時間はかかったとしても、自らを自らで肯定し、自信をもって生きられるようになれば、
たとえ危険な環境に陥ったとしても、自らの力で脱出して自分を守れるのではないかと思います。
この社会が今後どうなっていくのか分かりませんが…どんな社会になろうとも生き抜けるのはそうした人間だと思っています。