人間の能力は「安心感」で開花する

現代に生きるほとんどの人が、本来持っている能力のほとんどを開花せず、生涯を送るといわれます。

人によってはいくつもの草鞋を履き、多彩な能力を発揮する人もいますが、その違いは何なのか。

能力を開花・発揮できない人に対して、日本社会は努力不足というレッテルを張りますが、努力という言葉には根性論的意味合いも感じるため、イマイチ適切とは思えません…

と同時に、努力だけで本来持っている能力を開花できるのか、疑問でもあります。

マズローの五段階欲求説

個人的に、能力を開花・発揮させるためには、「安心感」が不可欠だと思っています。

ここで挙げたいのがマズローの五段階欲求説です。これは人間の欲求には5段階あり、1段目の欲求を満たさなければその上の欲求を満たせないという説です。

1段目は生理的欲求、2段目は安全の欲求ですが、この2つは人間の基本的欲求であり、食事や排泄などが満たされ、生命の危険がない場所での生活が満たされることを意味します。

3段目は社会的な欲求で、これは社会と繋がって認められたいという欲求であり、4段目は尊厳の欲求、5段目が自己実現欲求となります(そしてマズローは晩年に、6段目の、目的の達成だけを純粋に求める自己超越欲求も発表していますが今回は割愛)。

安全の欲求を満たせていない

そんなマズロー5段階欲求説に基づくと、能力を開花させるためには2段目の安全の欲求が不可欠です。

が、多くの現代人がこの安全欲求を満たせていない状況にあり、その結果、能力が開花できずに人生を終えている気がします。

安全欲求が満たされない状態とは、精神的に追い詰められている状況にもかかわらず誰も守ってくれない状態などです。

それゆえ、安全の欲求が満たされ自分が常に守られているという安心感を得られることが、能力を開花させるためには欠かせないと思っています。

親からの肯定的メッセージの不足

そうした安心感が得られない最大の原因は、親からの肯定的メッセージの不足と考えています。

親から、本来の自分を認めてもらえ、「いるだけで存在を認められ、何もしなくても価値がある」という肯定的なメッセージを受け取っている子どもは、自己肯定感が高く、色々なことにチャレンジする力を持っているそうです。

が、そうした肯定的メッセージではなく、「自分の存在は、親や周囲に何かしらの価値を与えて始めて、認められる」というような条件付きメッセージを受け取っている場合、「自分がここにいていいのか」という不安感を常に抱えることになり、安心感は得られず、能力開花も難しくなる気がします。

安心感がない中で、親からの過大な期待に応えようと努力を続けても、能力を開花・発揮し続けることは難しいと思います。

安心感は心も強くする

一方、安心感のある人は能力を開花・発揮できるだけでなく、自信を持って生きられるために心も強い場合が多い気がします。

それゆえ、他者から嫉妬や攻撃を受けても、跳ね返す力を持っていることが多く、継続した能力開花が可能に見えます。

確か、富士そばの創業者も「精神的な圧迫が人間には1番悪い」と仰っていた記憶がありますから、そうした安心感がもてる精神的圧迫のない環境は、能力を開花・発揮するために不可欠なのではないかと思います。

では、今からそんな安全欲求を満たし、安心感を得て、能力を開花・発揮するためにはどうすればよいのでしょうか。

これは、現在私も考えているのですが、明確な答えが見つかりません…

おそらくですが、自分で自分に安心感を与えられるよう、好きなことややりたいことに時間を費やすのが1番ではないかと思います。

そうやって自分のやりたいことに時間を割く中で、自分で自分を肯定し、本来の自分を認めていくしかない気がします。

そのうち徐々に安全欲求が満たされていき、能力の開花・発揮に繋がるのでは(繋がってほしい)、と考えています。

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