引き続き、『反教育論』(泉谷閑示、2013)をご紹介したいと思います。
人は成長していく過程で、「自分の世界」を作っていかなければならない。(p178)
「自分の世界」を子供が作っていくためには、「嘘」をついたり「秘密」を持ったりすることが不可欠で、親や教師はある程度それを容認しなければならない(p178)
子供が「自分の世界」を作っていくことは、いわゆる「自立」の必須条件である。しかし、もし「子供に自立はして欲しいが、嘘をついたり秘密を持ったりしないで欲しい」と考えるのだとしたら、それは虫の良い話で、達成不可能なダブルバインド(二重拘束)的欲望を子供に向けていることになる。(p178)
「嘘」も「秘密」も禁じられて育てられた子供は、ある種の洗脳を施されたような状態にある。親の価値観や好みを見事に読み取り、その範囲を逸脱しない好奇心だけを選択的に発動させ、「良い子」を演じたまま大人になる。(p179)
しかし、それが破綻する日は必ずやってくる。(p179)
すべての行動が偽のモチベーションによっているがために、あるとき「ガス欠」状態に陥ってしまい、動けなくなるのである。(p179)
しかしこの状態は、
本人の心理的成長にとって欠かせぬ「反抗期」的な意味があるということを、治療者も本人も認識する(p180)
必要があるといいます。
そういう状態になると、多くの場合が自己嫌悪に陥って自分を責めてしまったり、もしくは周囲から責められたりするケースもありそうです。
でもそうした状態になったのは、おそらく長年「頭」で、親が喜びそうなことや世間的に評価されそうなことをやって、「心」でやりたいことを犠牲にした結果なのだろうと思います。
著者は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人や、弘法大師・空海の例を挙げながら、彼らも「悪」の出どころとされる「煩悩」の存在を、自らの内面に認めていたといいます。
特に空海は、
「悪」の出どころである「煩悩」というものも、人間の持つ生命力の止むに止まれぬ顕れであり、それなしには菩提(悟り)に達することもできはしない(p186)
と言っているくらいです。
著者は、
「嘘」を平然とつく人間も恐ろしいが、最も恐ろしいのは、自分の中に避けがたく生じてくる「嘘」について自覚しない人間だ。(p183)
として、
人間が人間らしく在るというのは、闇を内包して生きるということではないのか。闇とは「嘘」であり「秘密」であり、「悪」のことである。(p183)
人間の内部から完全に「悪」が排除されるべきだと考えるとしたら、人は不幸になる以外にないだろう。(p183)
と述べています。
とはいえ、息を吐くように嘘をつく人、周囲に悪を撒き散らす人、非人道的な行動をとる人は、ちょっと遠ざけたい存在です。
また、虚言癖のある売国政治家や売国官僚、他国資源を搾取したり庶民を搾取したりするグローバル企業は、悪の塊なので完全に排除されるべきだと思います。
しかしながら、ちょっとした嘘をついたり、秘密を持ったり、嫉妬したり、毒を吐いたりすることは、幸せを求めて生きていく上では不可欠なことなのかもしれない、とこの本を読みながら考えるようになりました。
人間の大半は自分に甘く他人に厳しいので、他人には完璧さを求めてしまいがちですが、、、
ちょっとした闇、嘘、秘密、悪を他人がもつのを尊重することは、人として不可欠なことなのかもと思い始めています。